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2005.6.17UP 2016/07/14追補 |
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![]() *信濃三兄弟 末弟の秘密−松本電気鉄道 ED301−1926年、信濃鉄道(今のJR大糸線北松本−大町間)は米国ウェスティングハウス/ボールドウィン社から3台の30トン級ELを購入します。 NO`1〜3と名付けられた兄弟は1937年国有鉄道法のもと、 国鉄のELとしてED221〜223と名を改め、安曇野の地で走り続けました。 ![]() その後、長男の1号機は48年に廃止されますが、 西武鉄道が引き取りED1として再出発します。 同年10月ED1は近江鉄道に貸し出され、50年2月正式に近江鉄道に移籍します。 ED221と昔の名前を取り戻した彼は、 60年10月〜74年11月まで10数年一畑電鉄で活躍した後、現在は弘南鉄道で、 主に除雪用の機関車として30年の永きにわたり生きながらえてきました。 ED221 駅 (弘南鉄道) ![]() 次男の2号機は、中部天竜へ移転。56年8月、この地で廃止されましたが、三岐鉄道へ移籍。 ED222として国鉄富田駅の入れ替えに従事しました。 廃止後も、沿線の大安町に大切に保存されています。 ED222 富田駅 (三岐鉄道) 末弟の3号機は、次男と同じく中部天竜へ移転。兄とともに伊那谷を駆けてきたのですが、 一足速く56年2月廃止されます。岳南鉄道ED223となり、同年9月西武A1となったものの 60年7月にはまたもや移籍。松本電鉄ED301と名を改め奈川渡ダム建設の一助を担ってきました。 貨物が廃止され74年には休車状態となります。 僚機のED40が1500Vに昇圧し岳南鉄道へ移籍したのも因縁浅からぬものを感じます。 滅多に動くことはないものの稼働可能な状態で今も新村の車庫に眠っています。 追補 、2005年9月に除籍され、現在は静態保存されています。
いわゆる買収電機である信濃の三兄弟が、誕生以来80年近くたった今もなお揃って健在なのは 奇跡とも言うべき珍事であり、どの車も第1級の珍車ですが、末弟であるED301をあえて取り上げたのは、 彼が走り抜いた線区の架線電圧がなんと6回も変わっているという点からです。 おそらく世界的に見てもこんな例は無いと思います。 1200V機として誕生した彼らは、国有化された後、一様に1500Vの昇圧工事を受けます。 以後、兄たちがそのままだったのに対し、3号機は56年当時600V線区であった岳南鉄道に移籍しています。 (岳南鉄道は69年に1500Vに昇圧しています)短い期間ではありましたがその後、西武鉄道へ移籍。 再び1500Vに戻ります。そして松本電鉄へ移籍する際に一旦750Vに降圧されることになりますが、 松本電鉄では、86年東急の5000系電車を導入する際に1500V昇圧することとなったため。 ほとんど稼働することはないとはいえ再整備することになったのです。 活躍の場を5回も変え、その場その場の必要に応じてED301は順応していったのです。 もともと1200V機として誕生したこともさることながら、 米国屈指の重電メーカー、ウェスティングハウス社の電気部品が、 丈夫にできていたからこその芸当だったのではないかとも思うのですが、いかがなものでしょう。 生まれ故郷そのものではありませんが、北アルプスの山ふところ、 常念岳といった故郷の山並みをバックにこうして走り続けてこられた ED301は幸福者というべきでしょう。 参考文献;私鉄電気機関車ガイドブック 杉田肇氏 誠文堂新光社 |
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