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  名古屋鉄道 3880系 運輸省規格車  2013/06/06 UP
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<B><FONT color="#000000">名古屋鉄道 モ3880形 3883 撮影; 金山橋</FONT></B>
−鉄道車両写真集−
名古屋鉄道 3880系 運輸省規格車A'形
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名古屋鉄道 3880系 AL車 3両編成 編成表
←豊橋@             B新岐阜 →
ク2880-モ3880-モ3880
2881-3882-3881〜2884-3888-3887
  Tc-M-Mc  2881〜84F 
参考:私鉄車両編成表80年版 
名古屋鉄道 モ3880形 3883 もと東急デハ3703 撮影;金山橋

名鉄で再起した東急電車−−名古屋鉄道 3880系 運輸省規格車A'形−−

現在。東武線では東急電車の姿を見ることができます。
東京メトロを経て乗り入れてきているのですから、別に誰も驚きはしません。
他社線で走っていようが、東急電車は東京急行電鉄の車両です。

ところで、名鉄線で東急電車の姿を見ることができた時期があったのをご存じでしょうか。
もちろん相互乗り入れしてきているわけではありません。

東急電車は、全国各地でその姿を見ることができます。
東急はかねてから、自社の車両を地方鉄道に譲渡してきた歴史があります。
弘南鉄道、北陸鉄道、水間鉄道、そして熊本電鉄などがそうです。もう本家では見られないもので、
「懐かしいなあ…。」という思いでご覧になられた方も多いのではないかと思われます。
これと同じです。お払い箱になった東急車両が、なんと大手私鉄である名古屋鉄道にも譲渡されていたのです。
すなわち、名古屋鉄道3880系こそは、かつて東京急行電鉄3700系だったのです。

なぜ、このようなことが起こったのでしょう。
実は、東急3700系が東京急行電鉄にとっても異色の車両であったということから、お話したいと思います。

東急3700系は「運輸省規格形電車A’形」

国鉄・私鉄を問わず、太平洋戦争によって喪失した電車は膨大な数に達しました。
また、残存した車両も十分な保守を受けられない状態でした。
このような状況の下、国鉄は63系電車を大量生産して急場を凌ぎ、
また一部の大手私鉄も63系を緊急導入して輸送力確保に当たったのです。
しかし、63系は大型であり、線路規格の低い私鉄では入線できないという路線も少なくありませんでした。
そこで、運輸省は1947年に電車の標準規格を制定し、
適合した電車について、これを優先的に新造を許可するという方針を採ったのです。
これが「運輸省規格形電車」と呼ばれているものです。
規格形にしたのは他でもありません。
資材不足を何とかしなければならなかったからです。
 新製に当って使用される材料や部品には制限が加えられていました。
例えば、窓ガラスとして配給される板ガラスの寸法(窓幅)は700mmか800mmで、
出入口の幅も1,100mmまたは1,150mmに限られていました。
つまりA'形で窓幅800mmを採用すれば、出入口幅は1,150mmとなり、
700mmならば1,100mmの出入口となるようにサイドビューも決まってゆくということです。

このほか主電動機についても、東洋電機(TDK)か、三菱電機(MB)の110kWまたは90kWを使用し、
パンタグラフは国鉄の標準品であるPS13形(TDK-PT24)か、三菱電機のS710C形を取付けるのが原則でした。

「私鉄郊外電車設計要項(昭和22年度)」によりますと
運輸省規格型電車はA'形・B形・B'形の3種類となります。
ここで規定されるのは、連結面長・車体幅(側板間)などの寸法です。
主電動機・制御器などではありません。
 
    車体長  車体幅
A'型  17.5m   2.7m
B型   15m     2.6m
B'型  15m    2.45m

22年度に新製された運輸省規格形電車の総数は、11社121両に達したましが、
その大半はがA'形(86両)であり、
小ぶりのB形は11両、B'形は24両にとどまっていました。
21年度にまず63系が私鉄各社に割当てられたこともそうですが、
運輸省の私鉄復興対策の焦点は、まずは大手私鉄だったことが伺えます。

東京急行電鉄が割当をうけた20両は、全てA’形でした。
東横・目蒲線で最も全長が長かったのは、デハ3150、3200形で17.120mmでしたが、
規格どおりに作られたため、デハ3701〜15、クハ3751〜5として竣功した20両は、東横・目蒲系では最も全長が長い車両となりました。

東横線に配属されたデハ3700形・クハ3750形はMcMcTc編成で使用されました。
しかし、デハ3700形15両に対して、クハ3750形は5両にとどまったため、
Tcの不足分は、焼失電車の鋼体・台車を利用して再生させたクハ3770形を充当しました。
再生したとはいえ、車体の寸法は在来車のままですのでちぐはぐな編成ですね。
また東急には、戦前製のデハ3450形などが走っていました。
当然デハ3700系の方が新しいのですが、戦後の混乱期、技術の低下と材質の不良によって見劣りするのはどうしようもありませんでした。
その後、手直しもされ、東急電車の一員としてきちんと仕事をした彼らでしたが、増備されることはありませんでした。
異端車であるということを払拭できなかった彼らは後、他の旧型車に先がけて、東急を追われることになります。

ただデハ3700形が600V・1500Vのいずれの電圧を使用する区間にも使用できるように設計されていたことは、
やがて到来する1500V昇圧への功労者であったといえるでしょう。
彼らの名誉のため、そこんところは押さえておきたいと思います。

名鉄モ3880(東急デハ3700) 1948年川崎車輌製 名鉄モ3800  1949年 日車製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t) 長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
17.840 2.740 4.140 38.7 17.830 2.740 4.135 37.3
ブレーキ 定員(座席) モータ(kw) 台車 ブレーキ 定員(座席) モータ(kw) 台車
AMA 130(50) 110×4
KS-33E AMA 150(54) 112.5×4 D-18
参照データ 鉄道ピクトリアル  No370 名古屋鉄道特集 1979.12 No'335 東京急行電鉄特集 1977.6 
比較して違うのは、座席定員が52であることと制御装置がABFMと分類されていること

さて、東急3700系のような運輸省規格車は、他に名古屋鉄道の3800系、近畿日本鉄道の600系などが、その例として挙げられます。
しかし、似て非なるもののようにも思われます。
3700系は3ドアですが、3800系は2ドアです。
「私鉄郊外電車設計要項」では、新製車は原則両運転台。
ドアも3ドアと指定されていました。 
しかし、これは一応の基準であり、2ドアでも差支えないとのことから、
121両に達する22年度割当車の中で、3ドアは5社56両にすぎず、
実際には2ドアのほうが多かったのです。
つまり規格形とはいうものの、鉄道会社のニーズに合わせて複数の規格が制定され、
実際には各鉄道会社の在来規格に合わせ、修正の上、製造されていたのです。
よって部材の規格化・電装部品や台車の標準化などが図られたものの、規格統一とはほど遠いものだったように思えます。

次に 名古屋鉄道にもいた運輸省規格車についてお話しします。

名鉄3800系も「運輸省規格車A'形」です。

名古屋鉄道は、かつて豊橋−新岐阜間を直通で運転することはできませんでした。
西部線(600V)とは架線電圧が違っていたのです。
そこで、昭和23年にはこれを1500Vに昇圧しようということになったのですが、
西部線には1500V用へ改造できる車両は数少なかったのです。
ですから1500V用である3800系20両は、願ってもない重要な戦力だったといえます。

初期故障など、昇圧当初はトラブル続きだったようですが、
3800系は、その後順調にその数を増やしてゆきます。
最終的(昭和24年)にはMc-Tc 35編成が勢揃いします。
まさに名古屋鉄道の顔として、本線に君臨していました。

さて、切迫していた輸送力を改善するというのなら、3ドアロングシートでしょう。
運輸省も3ドアを想定していました。しかし、前述したように名鉄3800系はというと2ドアです。

それでも、規格型である3800系が名古屋鉄道でこのように愛用されたのはなぜでしょう。
それは、その形態・性能を極力、戦前の名鉄標準型に近づけようとする努力が払われたからだと思われます。
戦前、西部線の特急用車両であった2ドア車、モ800形とも非常によく似たフォルムです。
23年5月に実施された特急運転は快挙であり、
好評を博した3800系は、以後名鉄の標準タイプとなりました。

−鉄道車両写真集−
名古屋鉄道 3800系 運輸省規格車A'形
の車両たちへJUMP
<B><FONT color="#000000">名古屋鉄道 モ3800形 撮影;新岐阜</FONT></B>

名古屋鉄道 3800系 AL車 2両編成 編成表
←豊橋@       A新岐阜 →
モ3800-ク2800  
Mc-Tc  
21、26〜35F(29は欠) 
参考:私鉄車両編成表78年版

名古屋鉄道 モ3800形 撮影;新岐阜

戦後の混乱期を経てきていながらも、合併、昇圧、直通運転と大きな節目を中心になって担ってきた名鉄3800系に対し、
製造が22年度にとどまった東急3700系が、急場しのぎであったという点は否めないと思います。

前述したように東急3700系が、その後改修工事を受け、東急電車の一員として活躍を続けたことは紛れもない事実です。
しかし、名鉄3800系と違って、少数派であったことからも、東急3700系が異端車扱いされたことは、想像に難くありません。
事実、1975年に、早くも戦力外通知をだされているのです。
戦前製の3450系が、まだまだ現役ばりばりで活躍しているのにもかかわらずです。
さてそんな東急3700系に名古屋鉄道は、救いの手をさしのべることになります。

そういう経緯で生まれたのが名鉄3880系です。

名鉄で再起することになった東急3700系→名鉄3880系

3扉ロングシートの通勤車であった東急3700系は名鉄3880系として、Mc14両、Tc7両で3連×7本=21両が導入されました。
しかし、1948年製の3700系を導入したのは、1975〜1980年。
車齢30年クラスの中古車をなぜ、名古屋鉄道は必要としたのでしょう。

オイルショックという言葉を覚えておいででしょうか。
トイレットペーパー買い占め騒動があったのは、第一次オイルショックでこれは1973年です。
1979年にもイラン革命により、イランから大量の原油を購入していた日本は、オイルショックの危機に直面したのです。
これが第2次オイルショックです。第1次並に原油価格が高騰しました。
当然、1次2次ともに、ガソリンの値段も高騰。
鉄道を始めとする公共交通機関を見なおそうとする動きが起こったのはこの時です。
特に中京圏はモーダルシフトへの進展が著しかったところでしたから、一気に鉄道が注目されることとなったのです。
その勢いに追いつくためには、なりふりをかまってはいられなかったという事情があったのです。

そこで、3800系と同じく「運輸省規格型」である3700系です。
3800系とは違って、こちらは3ドアのロングシート車でしたが、今となってはむしろ好都合。
加えて、当時まだ、ツリカケ駆動の自動加速車(通称、AL車)大量に保有していた名鉄は、
これらと車両規格や機器類に共通性が強い3700系はメンテナンスでもメリットがあると判断されたのでしょう。
導入を決断することになります。

ただ編成中の電動車・制御車の向きが名鉄の旧性能車とは逆であったり、
制御器等も名鉄標準とは異なるなどの部分も少なくありませんでした。
また東急時代に界磁接触器を撤去されていたことなどから、名鉄のAL車との併結改造は行われず、
東急時代そのままのMT比(2M1T)で編成を組み、他系列とは独立した運用がなされました。

結局、名鉄でも運用上の制約が生じ、このことが結果的に淘汰時期を早める一因となってしまいました。

とはいえ、名鉄3880形は、とりわけ混雑が激しい犬山線系統の通勤輸送に充当され、3ドア車の威力を遺憾なく発揮しました。
また、ラッシュ時以外には、特急などの優等列車にも用いられ高速運転にも従事したのです。
新天地を与えてもらった彼らは、懸命に名古屋本線を駆け抜けました。
でも弱め界磁が効かないわけですから、変速機のない自転車でしゃかりきになってペダルをこいでいるようなものです。
東急では、その必要のなかった「高速運転」の影響で機器の消耗は、早かったに違いありません。

「ヤケクソ」のツリカケサウンドを永く聴くことはできませんでした。
あわれ、名鉄3880系は、1985年までにその姿を消すことになります。

名鉄に在籍したのはわずかに10年。全車両が揃っていたのは、たったの1年という薄幸の系列でした。

参考文献 鉄道ピクトリアル 東京急行電鉄特集 1977年6月号 No335 鉄道ピクトリアル 名古屋鉄道特集 1979年12月号 No370
私鉄の車両11 名古屋鉄道  4 東京急行電鉄 保育社 1985年刊


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