2007.10.20UPのHP TOPへ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国鉄最後の新造連絡船 ななうら丸U(宮島航路 JR西日本)連絡船といえば、青函連絡船や宇高連絡船がまず頭に思い浮かびます。しかし、JRに引き継がれてわずか一年足らずの翌1988年。三月に青函トンネル、四月には瀬戸大橋が開通したことにより、彼女らは、その使命を終え、姿を消してしまいました。 ところがどっこい、JRの連絡船は、生き残っているのです。宮島航路です。 広島市の南西16kmの海上に浮かぶ厳島は、主峰、弥山(530m)を中心に原始林に覆われた美しい島で、なんと言っても世界遺産ともなった厳島神社のおかげで、今や世界的な観光地ともなっています。 しかし、島内には鉄道はありません。当然、青函連絡船や宇高連絡船のように貨車を運んだりするわけではないのです。 でも、いったいなぜ、鉄道連絡船でもないのに旧国鉄は、この航路を運行していたのでしょうか。 その理由は、国鉄以前に遡らねばなりません。 山陽鉄道という会社を、御存知でしょうか。 明治39(1906)年、鉄道国有法施行以前、山陽本線は、この山陽鉄道が経営していました。 官設鉄道と違って、レールにこだわらない積極的な経営戦略で、関門海峡や岡山と高松を結ぶ連絡船、そして下関に建設された山陽ホテルなど多角的な経営を行っていたのが山陽鉄道です。 宮島航路も、その一環で、厳島観光に目をつけた山陽鉄道が、明治36年。この島への「渡し」であった宮島渡航会社を買収したことからスタートしています。 鉄道がない国鉄連絡船といえば、もう一つ山口県の大島と大畠を結ぶ、大島航路というのがありました。 これは戦後経営が困難になった、県営渡船を国鉄が引き受けたもので、連絡船の由来も様々です。 しかし、縁は異なもの味なもの。この大島航路が、宮島航路の存続と大いに関わっていると思えるのです。 宮島航路には、強力なライバルが存在します。 広電グループの「松大汽船」です。目と鼻の先といってもいいくらいの桟橋から、JRと同じように頻繁に出港してゆきます。 話は過去に遡りますが、昭和40年代から昭和50年にかけて、宮島航路は、オイルショックで減少する観光客をこのライバル汽船に乗客を奪われ、ジリ貧状態になっていました。 このままではいけない。と国鉄宮島航路は、昭和51年6月ダイヤ改正を行います。 臨時便の常時増発体制をしくとともに、大島航路から「大島丸(V)」を転属させたのです。 前述したように大島航路は、県の要請で「赤字」とともに経営を引き継いだ路線でしたが、その後、自動車輸送に力を入れ、なんと黒字に転じていました。しかしながら、総延長1876mの大島大橋が開通したことにより、この年航路を廃止することになったのです。 宮島航路にとっては、まさに「渡りに船」。そんな事情もあって輸送力をUPすることができたのです。 それだけではありません。「安芸丸U」と名付けられた「大島丸V」は、冷房付きだったのです。 また可変ピッチプロペラとコルトノズル舵を持つことから、小回りがきくことも大きなメリットでした。 また宮島航路の事情に合わせて、自動車の搭載数を15台から4台減らしましたが、いわゆる短距離用カーフェリーのスタイルでしたから、船首にドアをつけることも容易でした。 昭和53年には増備された「みせん丸V、みやじま丸V」も揃って同様の装備がなされました。 もちろん、冷暖房完備です。 船首着桟方式を採用、宮島口−宮島間片道航行時間10分。停泊時間5分のフリークエンシーサービスが可能になりました。 以後、宮島航路は順調に業績を伸ばしてゆくのです。 大島丸Vが転属してこなければ、宮島航路は息を吹き返していたかどうか…。 さて、そんな「安芸丸U(=大島丸V)」の代替船となるのが、「ななうら丸U」です。 国鉄末期の昭和62年に建造されました。 新型の可変ピッチプロペラを持ち、ベッカーラダーという新しいメカで旋回性能をUPさせているかたわら、 いまはなき。「みせん丸V、みやじま丸V」といった国鉄時代の宮島航路の面影を伝える貴重な一艘です。 現在、主に使われているJR時代の新造船は、前後とも同じスタイルの両頭双胴船です。(写真下) 合理的なスタイルですが、個人的には、「ななうら丸U」のようなスタイルの方が好きです。 先代の「七浦丸T」は、関門航路の下関丸として大正9年デビューしました。 同僚船の「弥山丸T」とともに改名第一号となる「七浦丸T」は、昭和33年に売却されるまで57年という 最長寿を誇る連絡船となりました。 「ななうら丸U」も先代にあやかって長生きして欲しいものです。
2006年にデビューしたみやじま丸は、 小型旅客フェリーとして、日本で、はじめて電気推進システムを導入しました。 3台のディーゼルエンジンで発電し、それでもってプロペラをモーターで回す仕組みです。 いってみれば、DF200のフェリー版といったところでしょうか。 日本船舶海洋工業会が選定する「シップ.オブ.イヤー2006」にも選ばれたそうです。 参考文献;「鉄道連絡船100年の航跡」古川達郎氏 1988 成山堂書店 鉄道ジャーナル No491 railway topics |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
のHPです |