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近江鉄道 モハ220形 221号機 −−近江職人の魂を繋ぐもの−−−−

近江鉄道 モハ220形 221
−鉄道車両写真集−
近江鉄道 @電車-'90 A'91- LE10形 700系  
モハ220形 モハ100形
1系 131系
 500系  800系 /B電気機関車

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近江鉄道 モハ220形221号機 撮影;2007.9 彦根

モハ220形は、1991年に、221号機が近江鉄道初の冷房電車としてデビューしました。
エアサス付き台車であるFS40を履いた両開きステンレスドアの冷房車です。
そのスマートなマスクとあわせて近江鉄道の新時代を画した車両といっていいでしょう。
しかし、2014年から廃車が始まり、2015年現在、旅客運用からは外されている模様です。
近江鉄道といえば、
歴史的鉄道遺産といえる電気機関車を永年にわたって使い続けるなど古い車両でも大事に使い続ける鉄道会社です。
20数年で現役を退くというのは意外です。
ここら辺の事情はどうなっているのでしょうか。

モハ220形は1991年〜1996年にかけて、100形、203形、LE10形という単行用両運転台車(近江鉄道では「単車」と呼んでいます。
)を置き換える目的で登場しました。
ところで、100形は、1959年製 203形にいたっては1927年製ということで、置き換えはやむなしと思われます。
しかし、LE10形(11〜15)は1986年に導入されたもので、近江鉄道初の冷房車でもあります。
戸籍上は2004年に廃車されていますが、96年には全車運用から外れており、10年しか使われていないのです。
91年から96年にかけて製造された220形にまさに取って代わられたという感じがします。

ここで、LE10形について、お話しします。
LE10形は、富士重工業製のレールバス「LE-CarU」です。
12m級の二軸車で、バスの車体、および日産ディーゼル製のバス用エンジンを流用し、コストを抑えた車両です。
国鉄から廃止路線を引き継いだ第3セクターからの需要に応えたものと申し上げていいでしょう。
優れたコストパフォーマンスは、大手私鉄である名鉄にも評価され
キハ10形(1984年製)として電化区間であった八百津線などの路線に導入されています。
近江鉄道の路線もまた全線電化されていますが、電力供給のコストを削減するため
主に輸送密度の低い八日市〜貴生川間で投入することになったのです。
近江鉄道ではディーゼル機関車も運行させていたので、特にメンテナンスで困ることはありません。
動力費が1/5となるメリットは大きかったといえるでしょう。

加えて、冷房装置を搭載していたというのも大きなポイントでした。
近江鉄道では1967年の1126万人をピークに1985年には400万人ほどに乗客は激減していました。
もはやマイカーに冷房は当たり前の時代でした。
鉄道離れを食い止めるためにも冷房化は欠かせない条件になってきたのです。
それならば、在来の電車に冷房改造をするという手もあります。
しかし当時、電車の冷房装置は相当な重量があり、補強もなしに、おいそれと天井に乗っけるなんてことはできなかったのです。
また電力消費量も大きく電源を確保することも考えなければなりません。
1系や500系の初期車を両運転台車化して冷房化するというのは、コスト的にも技術的にも無理
といわざるを得なかったという事情があったのです。

そんなわけで同社初の冷房車となったLE10形でしたが、
あまりにも小ぶり(定員70名(座席32))であったがためにラッシュ時には旅客収容能力が追いつかず、
早々に2両編成での運用になり、何のための単行車なのかということになってしまいました。
また予想されたこととはいえ軽量車体ゆえに老朽化が速く、
結局1996年には全車運用から外されてしまったというわけです。

そこで登場するのが、220形です。
1991年にデビュー以後、
自社の彦根工場で1年1両のペースで新造され96年にLE10形を淘汰しました。
しかし、その車体はというと、
近江鉄道手持ちの台枠に合わせて切断された西武701系をベースに運転台を新規製造しつなぎあわせたというものです。
床下機器も在来車から流用品で、旧式の吊り掛け駆動です。
それにしても、701系のものではなく、なぜわざわざ古い電装品を使い回したのでしょうか?。
前述したようにモハ220形は「単車」の置き換えが目的で作られたものです。
しかし西武701系はM車を2両つないだユニットで運行出来るよう製造されています。
2両に振り分けた電装部品を1両に詰め込むなんてことは、残念ながらできません。
そこで「単車」の従来車である100形、203形の機器を流用して自社で「単車」を作ってしまおうということになったのです。

近江鉄道では昭和30年代から、旧型車の電装品を流用して車両を製造してきた実績があります。
1960年代に入社された国鉄OBの方が指導されたとのことです。
1系、500系など、改造車という扱いになっていますが、車籍を名義上流用したにすぎず、
実体は自社の彦根工場で作られた車体に手持ちの機器を組み合わせていったものです。
近江鉄道は自社で車両を製作できる技術をもつ、いわばかつての西武鉄道のような鉄道会社だったのです。

それだけに86年にLE10形を富士重工業から購入したとき、悔しい思いがあったのではないかと思われます。
しかし、1979年に208名だった職員は貨物全廃の84年には100名ほどに減じています。
うち保守要員は20名あまり、うち7.8名で車両の保守をまかなっていました。
このメンバーで車両の新造をするというのは酷というものです。
前述したように冷房化の問題もありました。

しかし、近江鉄道の職人魂は廃れてはいませんでした。
60年代に様々な技術を身につけてきた職人の方々も高齢化し、
技術を継承しなければならないという使命感もあったのではないでしょうか。
LE10形導入のわずか5年後の91年にモハ220形がデビューすることになるのです。
西武701系という車両を入手できたことが大きかったことは間違いありません。
しかし、旧型車を再生するという技術がなければ、220形は登場しなかったでしょう。
冷房化の問題も補助電源を必要としないDC1500V直接駆動の方式を導入することでクリアしました。
221号機は近江職人の意地が造り出したもののように思われるのです。

さてそんな220形が現役を退くことになりました。
もっと使ってやりたいというのが本音でしょうが、
主電動機は鉄道省モデルとなるMT15、制御器は国電御用達のCS5。
台車こそエアサス付きのFS40ですが、ツリカケ駆動の旧型国電を更新改造した車といっていい車両です。
かなりくたびれています。見た目とその中身にはかなりの隔たりがあると申せましょう。
加えて問題だったのは、冷房能力です。
ちなみにLE10形は12.5m級の車体に22000kcalです。
対して220形は25000kcalしかありません。16.6m級の車体に、これではキツい。
まして、701系譲りの両開き3枚ドアが全開した時には、なけなしの冷気が容赦なく放出して行きます。
旅客運用から外れて行くのはやむなしというところでしょう。

しかし221号機は旅客運用から外れてのち、
スノープロウを装備しラッセル車代用となった226号機とともに、
入替や工臨に使われてきた電気機関車の代用として使用されることになりました。

ところで、221号機にはジャンパ栓が増設されました。
近江鉄道にやってきた新しい仲間に近江職人の魂を繋ぐもののように私には見えます。

参考文献:鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1987年 1992年 
      :寺田裕一 『日本のローカル私鉄2000』 ネコ・パブリッシング、2000年

    

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