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2008.2.23UP 2016/02/01 訂正追補 |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>近江鉄道 モユニ11形 11
〒マークのついた私鉄電車 近江鉄道 モユニ11形 モユニ112007年秋、郵政事業は民営化され、宅配業者との競争に打ち勝つべく、いっそうの経営効率化を推し進めつつあります。しかし、元来郵便というものは、大都市であろうが、へんぴな過疎地であろうが、日本全国津々浦々、均一料金で、等しく国民にサービスを行うという、公共性の強いものでした。 沖縄の離島へ向かう南西航空の機体には〒マークがあり、それが何とも誇らしく感じられたのも懐かしい思い出です。 鉄道においても、国鉄は言うに及ばず、私鉄においても郵便輸送が行われていました。 戦前、多くのローカル私鉄において、郵便輸送が行われており、これが全収入の6%に達するものもあったくらいです。 しかし、国鉄でみられた郵便車ほどには、私鉄において〒マークのついた車両を見ることはありませんでした。 それは、輸送量に応じて運送方法に区分が設けられていたことに原因がありそうです。 1取扱便−専用の郵便車に郵便局員が乗り込んで、車内で消印や郵便物の区分を行うもの 2護送便−郵便局員は乗り込むが、郵袋を開けての業務は行わないもの 3締切便−専用郵便車に郵袋は搭載するが、局員は施錠をするのみで添乗しないもの 4託送便−鉄道会社に委託して輸送するもの これらを見てみても、地方のローカル私鉄は4番目の託送便による輸送が専らで、郵袋は、他の手小荷物とともに荷物車、あるいは旅客車の荷物室か、乗務員室で車掌さんの傍らに置いてあったというところではないでしょうか。 昭和10年当時でも、郵便車を所有していたのは、13社にすぎません。 とはいえ、いい加減に扱われていたわけではありません。 「鉄道船舶郵便法」なるものが存在し、郵便輸送のための契約に応じない事業者に対し、運送命令を出すとともに罰則まで規定されていたのです。 このことは、裏返してみると、公共性の高いお役所の業務を請け負っているということで、企業としても有形無形のメリットを享受できたということにもなるでしょう。 そこで、近江鉄道です。「買い手よし、売り手よし、世間よし」の「三方よし」で知られる近江商人が支えてきた鉄道会社です。 郵便輸送自体は、採算のとれるものとはいえないと思うのですが、昭和59年1月31日まで、すなわち国鉄が取扱便の輸送を全廃し、事実上鉄道郵便輸送が、その使命を終えたときまで郵便車による郵便輸送を続けました。全国的に見ても、他には島原鉄道しか見られません。 もうおわかりのことと思います。 これは、近江鉄道が、採算性よりも公共性の高い郵便輸送を担うという社会的責任を果たしていることを社会に示すため、 つまり「世間よし」を重視した結果ではと思えるのです。 どれだけの郵袋がこのモユニ11に積み込められていたかは知りません。 しかし、このバカでかい〒マークが、会社のイメージアップに貢献していたように思われます。 郵便輸送はなくなりましたが、モユニ11は、平成2年12月に廃止されるまで、 彦根駅のこの場所で、結構長くその姿をみることができたように思うのですが、気のせいでしょうか。
モユニ11はもとモハ204(京王デハ1700形1707の車体に中古の床下機器と組み合わせたもの)。 性能・構造の近い203形に統合されていました。 1980年。モユニ10形の老朽化に伴い、荷物・郵便合造仕様に改造の上モユニ11形11と改称・改番されました。 しかし、1984年1月末、鉄道郵便輸送が廃止されたことから運用から外れ、 1990年に廃車となりました。
参考文献;「ローカル私鉄における郵便輸送をめぐって」白土貞夫氏 鉄道ピクトリアル 「特集 九州、四国、北海道地方のローカル私鉄」No509 |
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