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  京福電気鉄道(嵐電) モボ301  2008.3.6 UP
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復活記念イベント列車 モボ301形301号車
京福電気鉄道(嵐電)モボ301形 301 鳴滝駅 2008.3.01
モボ301 - 1971年 武庫川車輌 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
14.800 2.640 3.888 20.1
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) -
ツリカケ RPC−51
600V/DC
SE-129-13
44.8×2
-
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
SME 100(40) あり KL-15
(日立)
鉄道車両諸元表:出典は鉄道ピクトリアル 「特集 路面電車」No593 94.7

−帰ってきた301(さんまるいち)号−

なにか気のせいか、その姿を最近見かけなかった301号ですが、西院の駅で思わぬポスターを見かけました。
「帰ってきた301号(さんまるいち)号−復活記念イベント開催ー」
というものです。これによると
「昭和46年に製造され、36年間元気いっぱいに嵐山線を走り続けたモボ301形301号車。時代の流れと老朽化により、惜しまれながらも引退し、解体予定となっていましたが、(1)鉄道ファンの皆様からの熱い復活要望 (2)嵐電天神川駅新駅開業により、地下鉄東西線と結節することで、京都市内の鉄道東西軸がいっそう整備されます。嵯峨・嵐山と東山、さらには京阪電車(京津線)を経由して琵琶湖へと繋がります。また近年増加傾向にある京都観光へお越しのお客様をおもてなしする為にも、ますます電車のニーズが高まります。
以上の理由により、301号車の解体予定を取りやめ、車両検査体制を見直し、再整備を行ったうえでこの度、嵐電の線路に再び戻ってくることが決定しました。(以下略)」
と書かれていました。
「そうか、解体されかかっていたのか…。」
と私は驚くとともに、復活することを本当に嬉しく感じました。

ところで復活理由が、2つ挙げられていましたが、鉄道ファンの復活要望が(1)番の理由として挙げられていることについて、
「これは鉄道ファンに対するリップサービスかな。イベント(参加費一人2000円也)にもお客様を集めなきゃいけないし…」
と、もしお考えでしたら、301号の名誉のためにも、こんな電車だったんだということを知っていただきたいと思います。

−旅客用として最後のポール集電となる新造電車−嵐電モボ301形梅小路公園のN電27号 動態保存車

今の子供たちは、電車の絵を描かせたら、シングルアームパンタグラフを書くのでしょうか。
私らの世代では、やはり、菱形のパンタグラフかな。
路面電車ではビューゲルっていうのもありました。
ところで、日本最古の電車といえば、明治28年に開業した京都電気鉄道(通称N電)ですが、
トロリーポールという集電装置を使っていました。
ポールの先に滑車があり、ここから集電するのです。
右の写真は、京都の梅小路公園に動態保存されているN電です。
シンプルな構造が、おわかりいただけると思います。
向きを変えるときは、ポールの先から繋がっているひもを引き、
180度ぐるっと回してから、ひもを弛め架線と滑車をドッキングさせます。
滑車の溝でもって、架線に追随してゆくわけですから、
当然離線し易く高速運転には向いていません。
大正、昭和と時代を経てゆくうちに、次々に他の方式に取って代わられました。
しかし、とりわけ京都には、京阪京津線や叡電、そして嵐電と、
他都市と競べても長くこの方式が、残されていました。
そして、なんと昭和46年製の新車にもポールが取り付けられたのです。
昭和46年といえば、N電の開業からは、なんと76年後。かたや新幹線が時速250km運転をしていたという時代です。
京福電気鉄道としても、電動車としては昭和11年製のモボ121以来、35年ぶりの新車にポール集電を採用したというわけで、これも凄い話です。
他車との性能を合わせておく方が、合理的だったのかもわかりませんが、のーんびり走る嵐電には必要十分な装置だったともいえるでしょう。
ポール集電時代のモボ301形 302号
モボ301形については2組のポールが前後に付いています。(写真 左)
正面の窓が2枚ガバッと開いていて、風通しが良さそうですが、
これは終点で、乗務員さんが、ポールの先に付いているひもを操作するためのものなのです。
思えば、なんともレトロな光景が嵐電には長く残されていたのです。

残念ながら、ポール集電は、昭和50年でとりやめ、今と同じZパンタに取り替えられました。
黒い詰め襟の制服を着た乗務員さんが、この窓から身を乗り出して、ひもを操っていたのももはや、遠い思い出となってしまったわけです。
しかし、のーんびりとしたこんな歴史があったからこそ、癒しの「嵐電」という言葉が、なんとも似つかわしいものとなっているのではないでしょうか。
そんな過去を経てきた重みが、モボ301形にはあるのです。


−52年ぶりの新駅 嵐電天神川駅開業−

もっとも歴史の重みだけでは、復活することはなかったでしょう。
2番目の理由があります。それは、地下鉄東西線の太秦天神川延長開業によって見込まれる新たな需要です。
新駅周辺に何があったか、さだかな記憶はないのですが、現在、右京区役所をはじめ公共施設が移転してきており、
右京区の新たな顔ともなるこの地区には、嵐電の新駅も開業することになりました。
この地点から、隣の蚕ノ社(かいこのやしろ)駅は、目で見える距離であり、歩いてもしれているのですが、
すぐに地下鉄東西線に乗り継ぎができるメリットは、大きいと思われます。
このことにより、通勤客はもちろんのこと、観光客にとっても東山、二条と嵐山嵯峨野のみならず高尾方面への結束点としても、
大変便利な駅と天神川駅は位置づけることができます。
わかりやすい案内とPRでもって、新駅の設置を成功に導いて欲しいと思います。

かつて路面電車といえば、地下鉄の開業とともに消えてゆくという図式ができあがっていたような気がします。
でも、今回は逆です。
ひょっとしたら、地下鉄が復活させた路面電車第1号となるのではないでしょうか。
「301号を復活させてよかった。」
と言える日が、きっと来ると私は信じています。


建設工事中の嵐電天神川駅

まもなく開業。工事中の嵐電天神川駅
2008.3.01






−鉄道車両写真集−
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参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 路面電車」No593
301号復活記念イベントポスター
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