鉄道写真管理局 珍車ギャラリー 嵯峨野観光鉄道 SK300-1 ザ リッチ 2005.12.23UP
JS3VXWのHPです。
 J鉄局TOP珍車ギャラリー>嵯峨野観光鉄道 トロッコ SK300-1”ザ、リッチ” 
嵯峨野観光鉄道 SK300-1 ザリッチ  
SK300-1 (”ザリッチ”) 98年7月 JR西日本テクノス改造
元トキ25833
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
14.186 2.845 3.53 17.6
電源方式 定員 ブレーキ 台車(製造)
機関車より 62 DA方式 TR-209

側面を格子状にしたのみならず、床面も格子状(グレーチング状)にすることで、
よりいっそうの開放感と”風”を感じることができます。
また、屋根の3分の2に強化ガラスを用い、展望性を高めています。


SK300_1 ”ザ リッチ”     嵯峨嵐山  2000.8.23 

保津峡をゆく トロッコ列車 嵯峨野観光鉄道 ”ザ リッチ”

1991年4月、日本で唯一、観光目的の鉄道が開業します。その名も「嵯峨野観光鉄道」.
美しい保津川の自然を満喫できる路線として多くの人々に愛され、2004年には利用客は1000万人を超えました。
先日、「久しぶりに乗ってみようか」と京都へ行ったついでに立ち寄ったのですが、
なんとまだ昼前だというのに最終列車を除くと全て満席。仕方なく写真だけ撮影して退散しました。
 
今回の珍車は、この嵯峨野観光鉄道の5号車であるSK300−1”ザ、リッチ”です。
冬期の運休期間を除けば、まずいつでも撮影できる車両ではあるのですが、
珍車とさせていただいたのは、まさにこのネーミングに他なりません。
吹きさらしの車内に、木製の座席。貨車の台車を利用したごつごつした乗り心地は、
おおよそリッチという名からはほど遠いものです。
さりながら、これを”ザ、リッチ”と命名してはばからないところが、この車両の珍車たるゆえんです。

さて、この”ザ、リッチ”の生みの親ともいえるお方が、嵯峨野観光鉄道社長”長谷川一彦氏”です。
国土交通省が選定した「観光カリスマ100選」の一人でもあるこのお方を抜きに
嵯峨野観光鉄道を、そして”ザ、リッチ”を語ることはできません。
長谷川一彦氏は、71年に国鉄入社後、管理職としていろんな現場を体験されたわけですが、
90年、JR西日本が100パーセント出資する子会社”嵯峨野観光鉄道”に社長として出向することを命ぜられます。
社長といえば聞こえはいいのですが、観光鉄道が走ることになった嵯峨−亀岡間は、
山陰本線の電化によって廃線となった区間で、廃線後3年間放置されたまま、
線路は赤くさび付き、枕木は腐食、草ぼうぼうのどうしようもない状態となっていました。
そこにあてがわれた資本金も駅舎の整備と車両の設備投資でもう底をついている状態で、
社長を含めて8名の社員でどれだけのことができるのか。3年も持たないのではないかとさえ噂されていたのです。
 私だったら、すねて酒浸りになっていたのではないかという境遇にもかかわらず、
氏は、見事な実績で周りの人々をびっくりさせました。
設立当時の年間予想需要は16万人。多くても23万人といわれていたのを、
なんと初年度69万人もの人々が当線を利用したのです。もっともこの快挙が容易に達成されたわけではありません。
社長自ら、先頭に立ち、草を刈り、枝を払い、線路の補修にあたられ、トイレの掃除までされたそうです。
そんな社長の姿を見た社員が、やる気を出し、懸命に会社を支えたからこそ、なしえた数字と言えるでしょう。
 成功の背景にはこうした社員の方々のホスピタリティあふれる接客サービスに加え、600円という手頃な価格設定。
観光地京都「嵐山」に直結するアクセスの良さ。などがあげられますが、
自然と楽しむというテーマが、人々の心を捉えたともいえるでしょう。


     嵯峨野観光鉄道 トロッコ列車



保津峡をゆく、旧編成 96.6.18
(5号車、”ザ リッチ”はついていません。
又、1、3号車は密閉型客車です。)         



−鉄道車両写真集−
 嵯峨野観光鉄道の車両たちへJUMP






長谷川社長は、こう述べておられます。
「都市生活者は、日常的にふれることが少ない自然や緑を強く求めており…あえておんぼろにして、
非日常の空間に身を置いてもらう…自然を体感して、大気を思い切り吸い込んでもらおう。」と

SK300形は、社長の、このコンセプトのもと、
「美しい自然環境を身体全体で感じ、四季の移り変わりを実感できるリッチな車両」として、平成10年7月デビューします。
豊かさとは、寒かろうが、暑かろうが、つらかろうが、それを天の恵みと楽しめるゆとり、
−こころ−こそがリッチだという明解なメッセージなのです。


長谷川社長は、その功績が認められ、平成10年に和歌山支社長に命ぜられます。
しかしなんと2年後には、再び嵯峨野観光鉄道社長として戻ってこられたのです。
氏は、きっと一人一人の社員の顔が、よく見える職場に戻ろう。と思われたのではないでしょうか。そして、美しい自然のなか、
笑顔のお客様にもっと幸せになってもらおうと考えた”ザ、リッチ”とともに生きることを選ばれたのと思うのです。

社訓は「共生」。地元京都の鉄道として、お客様とともに楽しめる鉄道として、美しい自然を守り育てるために、
いまも社長自ら植樹されているかもしれません。


                                   参考文献;国土交通省「観光カリスマ百選」のWEBページ


珍車(JR/JNR)へ   珍車(私鉄/都市鉄道編)へ  TOPへ   切符INDEXへ   リンク集へ    鉄道略年表へ
JS3VXWのHPです