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2015/02/15 UP |
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泉北高速鉄道 5000系 −−南海には負けたくない!−−−
泉北高速鉄道は、泉北ニュータウンの和泉中央と中百舌鳥を結ぶ鉄道です。 かつて南海の路線となることが検討されていましたが、多額の投資が必要なため、南海はこれを断念、 大阪府が設立した第三セクターである大阪府都市開発株式会社により開業にこぎ着けたという経緯があります。 ちなみに同社は、元来トラックターミナルを運営したり倉庫業を営んだりする流通業者で1965年に設立されています。 さて、その大阪府都市開発が地方鉄道法による地方鉄道免許を取得のは1969年。 その2年後の1971年に中百舌鳥 - 泉ヶ丘間が開業しました。 そのときに導入されたのが 100系です。 相互直通運転を行う高野線で南海が導入を進めていた6100系に準じた4扉20m車です。 ただし中身は大きく違います。 6100系がオールステンレス車体であるのに対して 外板のみステンレス、内部構体は普通鋼製となるセミステンレス構造で登場しました。 初期投資を抑えたいという意思が強く伺えます。 1973年には、泉ヶ丘 - 栂・美木多間が開業延伸。 75年には3000系がデビューしました。 南海6200系(1974年〜)がベースで車体も同一形状に見えますが、これもまたセミステンレス構造で登場しました。 (86年製の6次車以降はオールステンレス)。 ちなみに南海では6000系以来、ずっとオールステンレス車です。 足回りも6200系に準じているのですが、 高野線三日市町駅以南の急勾配区間への乗り入れを想定していないために抑速ブレーキがついていません。 加えてなんと非冷房車で登場している点も見逃せません。 ここでも、初期投資を抑えたいという意思が強く伺えます。 1977年には、栂・美木多 - 光明池間が開業。 そして1990年。 5年後の光明池 - 和泉中央間開業を見据えて、5000系がデビューします。 今回の主役です。 5000系は、南海の車両をベースに経済性を追求した100系・3000系とは異なった新しいコンセプトの泉北オリジナル車両となりました。 車体はアルミ合金製車体でVVVFインバータ制御(GTO)となっています。 車両制御情報管理装置(TIS)も採用され当時の最先端を行く車両です。 車内も注目です。 空調はマイコン制御、座席幅も拡大され、サービス面での向上がはかられています。 大きな前面ガラスのマスクを持つ非貫通の白いボディーは、通勤車とは思えない強烈な存在感を醸し出していました。 それも8連固定。 こんなゴージャスな車両が1990年から8連固定編成×5本=40両も導入されたのです。 いままで、南海の廉価版ばかり走らせてきた。といわれ続けてきたトラウマを一気に払拭する勢いを私は感じます。 3000系の登場から15年。いったい何がどう変わったのでしょう? 大阪府都市開発では、当初、鉄道業務の多くを南海に委託していました。 ところが、1988年には第一種鉄道事業免許を取得。1993年には完全に直営化しています。 鉄道経営に本腰をいれだした経緯が見て取れます。 5000系がデビューした1990年は、折しもバブル経済の絶頂期です。 5000系がバブルの寵児であるという見方もできます。 しかし、そうであれば、4編成も量産されなかったでしょう。 その鍵となるのは、ズバリ、1987年の大阪市営地下鉄御堂筋線の中百舌鳥延伸です。 2016年現在 中百舌鳥−なんば間をナビタイムで調べると、 地下鉄24分 320円 に対し南海(準急)19分 330円です。 どちらを選びますか? 乗り換えがない分、当然、南海かな。と思いますよね。 しかし、かつて私の友人は「地下鉄やな。」と答えました。 ちなみに彼の乗車駅は泉北高速鉄道ではなく,南海高野線の「萩原天神(中百舌鳥から3つ先)」です。 「なぜ?????」と聞くと「遅いからだ。」と答えました。 所要時間的には当時=28年前も たいして変わらないと思います。 しかし、彼は「遅い。各停でもないのに中百舌鳥からは停まってばかり。イライラする。」 と言ってました。高野線のラッシュ時は南海本線を上回る過密路線です。信号待ちがしょっちゅうだったのでしょう。 当時は、ナビタイムもありませんでした。つまり体感速度ということになるでしょうか。 ですから、難波以北、すなわち 本町 淀屋橋 梅田 へ行くのであれば、コスト面でも有利な地下鉄を大阪府民は選ぶのです。 大阪府都市開発の幹部はそこんところをわかっていたのではないでしょうか。 そう、数字がすべてではないのです。 5000系の登場当初、すなわち1990年は泉北高速鉄道 線内運転のみの運用でした。 南海高野線への乗り入れは1992年のダイヤ改正からです。 もう南海に隷属する泉北高速鉄道ではない! そんなメッセージを5000系は伝えたかったのだと私は思います。 参考文献 :鉄道ピクトリアル 『特集 南海電気鉄道』泉北高速鉄道に関する記事。1993年12月 2008年8月 N615.807 |
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