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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>私有貨車 タム9200形タンク車 タム9200
その使命はいったい何だったのか。謎の2軸タンク車タム9200形 15t積 石油類専用タンク車私有貨車とは、国鉄(JR)ユーザーであった企業が自社の製品またはその原料を輸送するにあたって、汎用の国鉄(JR)貨車では、その荷の性質上無理である場合、 あるいは荷役システム等の制約から独自のものを製作した方が効率的である場合に製作された貨車群を指します。 特定の鉱山や工場がその構内で使用する貨車も私有貨車といえるかもしれませんが、 ここでは、まず国鉄(JR)線を利用するが故に形式を割り当てられているものとして限定しておきたいと思います 私有貨車の歴史はタンク車から始まり、まだ終わってはいませんが、タンク車に終わると言っていいでしょう。 といってはみたもののタンク車の中身はというと、千差万別で、 我々になじみ深いガソリンやセメントなどというのがある一方で、 呪文のような名前の化成品もあり、なにかしら謎めいていて怪しいのも−−その魅力といえるかもしれません。 鉄道は「より早くより大量に、そしてより安全に快適に…」 というキーワードで進歩してきました。 貨車に「より快適に」という言葉はあてはまらないかもしれませんが、 強いていえばスムースな荷さばきがこれにあたるのかもしれません。 今や鉄道は環境に優しくかつ経済的にも優れた輸送システムとして認知されています。 鉄道貨物も次なる時代へと進化し続けることでしょう。 さて、ここで私は私なりに私有貨車発達の歴史を見てゆこうと思うのですが、 我々にとってなじみ深いガソリンや石油類を運ぶタンク車が数量的にも多く 私有貨車発達の歴史を概観するのには便利と思われますので、 これを時系列的に並べてみることにします。 ガソリン専用タンク車の場合 ストレートタンク体であるタム500(S6〜15t)から始まって、 これまたストレートタンク体である戦後期の標準型タンク車であるタキ3000(S24〜30t)へ進化してゆきました。 そしてその後は、異径胴タンク体となる →99系(タキ9900;S37〜35t)→35系(タキ35000;S41〜35t)→43系(タキ43000;S42〜43t)と発展してゆくことになります。 21世紀のガソリン専用タンク車である新タキ1000形(H5〜18、45t)は、タキ43000形と外見上ほとんど差異はなく、 43系タンク車の延長線上にあるものといって差し支えないでしょう。 (もっとも台車はFT-21に置き換えられ、95km/h運転を可能にしている点は大きな違いですが…。) ところで、この究極の異径胴タンク体をもつタキ43000形のデビューと同じく昭和42年に登場したのがタム9200形なのです。 私有貨車図鑑の著者である吉岡氏によると、タム9200形は15トン積石油類専用車で、 S12からS62まで在籍した同じく15トン積石油類専用車であるタム4000形の後継車として位置付けられるとあります。 しかし、30年の歳月を経て、何が変わったのかというと、はなはだ疑問で、旧式な2軸タンク車であることからも 戦前に作られたものだよといっても差し支えないほどです。 もっとも、よく見てゆけば、 耐候性高張力鋼を採用したタンク体であるということと、ドームレスの外観という点が新しい点として挙げられますが、 それが革新的な技術なのかといえば、そうとも思えない。 耐候性高張力鋼は既に35系タンク車でも採用されているものですし、 ドームレスとはいえタンク体はストレートタンク体のままで、 異径胴を採用しその容量を増やしてゆくというトレンドに逆行するものです。 なんといっても、2軸タンク車自体が前時代の遺物というべきもので、 高速化対応で2段リンクに取り替えられてはいるものの、当時既に淘汰が進んでいる状況でした。 このタム9200形も当然2段リンクで新製されてはいます。 でも新しい2軸タンク車としての新技術が盛り込まれていても不思議はないのですが、それがありません。 1両しかいなかったということでタム9200形を試作車とする向きもあるようですが、 私には、タム9200形に課せられた使命が見えてこないのです。 次年度のダイヤ改正、いわゆるヨンサントウを契機に2軸タンク車は製造禁止となってしまいましたので、 タム9200形は最後の2軸タンク車ということになります。 ひょっとしたら、2軸タンク車におけるこれからの可能性を主張すべく 生産実績を挙げておくために、とりあえず製造されたものなのかもしれません。 吉岡氏は2軸タンク車の製造禁止について 「走行性能が劣るというのが表向きの理由だが、その後2軸タンク車の競合脱線は一度として発生していない。 どうも典型的な過剰対応か、穿った見方をすれば輸送単位の大型化を策したとも取れる施策であった。 これがなければ、ここに取上げるタム9200形のようなヨーロピアンスタイルの2軸タンク車が、 多数誕生したかと思うと返す返すも残念である。… ヨンサントウでの禁止がなかりせば、その後17トン積を目標とした軽量構造の2軸車が開発され、 ヨーロッパにあるような台枠一体化方式のタム・タラが出現していたかもしれない・・」 と述べておられます。 この禁止措置が、技術の芽をつみ取ったことになるとおっしゃっているのです。 私もその点については同感です。 一方的な大型化は、その車体を重くし、貨物列車の入線可能範囲を狭めるものとなり、 結果として鉄道貨物の可能性を閉ざしてしまったひとつの原因であると考えられるからです。 タム9200の所有者は共同石油(のちのジャパンエナジー)で、常備駅は水江町駅(川崎市川崎区)でした。 しかし「鉄道ダイヤ情報」などの記事によると、 船川港(秋田県男鹿市)や汐見町(名古屋市港区)などで潤滑油の輸送に使用されていたようです。 その最期については、ブログに目撃情報が寄せられています。 彼女を追っかけて清水駅まで行ったブロガーの方によると その時、タム9200の修繕票差しに差さっていた内容は 「命に依り臨時検査済 半田埠頭に回送 平成9年6月27日 千葉区」ということで、 永く北袖駅(京葉臨海鉄道の貨物駅)構内に留置されていたタム9200の回送に遭遇されたのであろうと思われます。 「標記類はかすれ、全体的に白っぽく褪色し、錆も浮いたやつれた姿」と表現されています。 かつて貨車の解体が行われていた半田埠頭駅(衣浦臨海鉄道)まで廃車回送されたと思われますが、 それにしても、なぜわざわざこんな遠くまで搬送したのか?詳しいことは何も分かりません。 でも−−その価値を知る鉄チャンは、人知れず姿を消したタム9200の最期を看取っていたのです。 参考文献 プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑 参照Web 「ジャパンエナジー (共同石油)」に関する研究サイトhttp://butsuryu.web.fc2.com/jomo.html#4 2003.6.1作成 2005.1.2更新 「新専貨回送」−石油元売りのタンク車(番外編2)しかし−…
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