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2014/06/30 UP |
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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>東京急行電鉄 デヤ3001 架線検測車
−東京急行電鉄 架線検測車 デヤ3001−観測ドームから見えたもの
電車が架線にパンタグラフを接触させて電気を取り込んでいるのは言うまでもないことですが、 架線もパンタグラフも、ともに擦れ合うことで、日々摩滅していきます。 また、気温の変化などで伸び縮みもします。 「架線検測車」は実際に線路を走行して、架線の摩耗状態やレール面上からの高さ、レール中心からの振れなどを検測するための車両です。 その検測データを元に、架線の交換・調整といった保守計画を立案し、鉄道の安全・正確な運行を支えているのです。 21世紀となった今、 従来の検測項目はもちろん、パンタグラフの接触力測定まで、カメラの画像解析技術により実現したシステムも登場しています。 明電舎が開発した架線検測装置CATENARY EYEです。 800系新幹線などにも搭載されているものですが、 もはや観測ドームをもつ架線検測車は時代遅れになりつつあるのかもしれません。 さて、観測ドーム付き電車といえば、かつて国鉄にクモヤ93000という架線検測車がいました。 モハ40010(1932年汽車製)という戦前製の旧型国電がそのルーツとなる吊りかけ駆動の車両ですが、 その後、度重なる改造を経て、80系電車などに見られる「湘南型」のスタイルをもつ両運転台車両に生まれ変わりました。 高速走行試験車としても使用するためです。 主電動機はMT901(試作品)。158kW×4と強力です。 また歯車比も 1:1.735と高速度運転仕様となっていました。 数々のレコードを記録し1980年 3月に廃車されました。 こんなスーパースターの陰に隠れてしまった感は否めませんが、東急にも、1977年に架線検測車が登場しています。 デヤ3001です。デハ3550形(3551)を改造した架線検測車です。 クモヤ93000同様、パンタグラフは前後に2基搭載され、 車両中央付近の屋根には架線観測用ドームと検測時に架線を照らす投光器が設置されました。 あわせて両運転台化されたので、デハ3550時代のままの半流貫通型の顔とデハ3300形を思わせる新たな平妻非貫通型を持ちます。 塗装も在来車の緑塗装でかつての東急電車の面影を留めていました。 さて、ここでデヤ3001のルーツについて見てゆきたいと思います。 デヤ3001の種車であるデハ3551は戦災復旧車であるクハ3221を電装したものです。 で、そのクハ3221はというと元はデハ3204です。 デハ3200形は、昭和2年生まれ。 川崎造船所製の実にがっしりとした構造の電車で、当時の標準車といってもいい車両です。 造船所仕込みの堅牢さゆえでしょうか。 晩年、長野電鉄や伊予鉄道などという地方鉄道に活躍の場を見いだし、 平成の時代にまで長生きした仲間たちが数多くいます。 しかし、デハ3204は、東京大空襲の犠牲となりました。 悪夢のような戦争が終わってみると、今度は鉄道が復旧の要となります。 参考文献には、関係者の筆舌に尽くしがたいご苦労が記してありました。 たった一つ部品が足らなくても電車は動かないのです。 目の色を変えてこれを探し回り、あるときはあるものでこれを代用するということをされたのです。 当時、国鉄の戦災復旧車を割り当ててもらえるということもありました。 しかし、その代わりに手持ちの部品を差し出すことも求められたようです。 そんな中で、クハ3221は復旧しました。 デハ3204とは、似ても似つかないスタイルです。 でも、そんなスタイルをその歴史とともに引き継いだのがデヤ3001なのです。 彼が観測ドーム越しにサーチライトに照らし出されたB-29を思い起こすことがあったかどうかはさておき、 戦争というあってはならない悲劇の歴史をその内に秘めてきたことは間違いありません。 デハ3499とともに動力車としても使用されたデヤ3001は1989年、デヤ7200形の登場により現役を引退します。 その後は東急車輛製造で入換車として使用されました。しかし、2010年3月に解体されたそうです。 また一つ、歴史の証人が姿を消したことになります…。 集団的自衛権が何を意味するのか? 私にはよくわかりません。 ただ、平和を願う思いが摩滅してはいないか。 それだけは、人間の眼でしっかり見定める必要があるのではないでしょうか。 参考文献 鉄道ピクトリアル 東京急行電鉄特集 1977.6 No335 1972.9 No269 |
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