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−社会福祉法人 こどもの国  と 横浜高速鉄道 Y000系−

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横浜高速鉄道 Y000系Y002F 2両編成 編成表
←長津田@        こどもの国A→
Y000-Y010
   (Tc-Mc) *下1桁をあわせている。
1F〜3Fが在籍 McにVVVF制御装置)
参考:私鉄編成表2011年版 :撮影2000.8 長津田駅
横浜高速鉄道 Y000系 Y012 撮影;2000.8 長津田駅

 横浜高速鉄道というと「みなとみらい21線」が、まず頭に浮かんでくると思います。
さて、この「みなとみらい線」の開業に際して横浜高速鉄道はY500を増備したのですが、
その数年前から、横浜高速鉄道ではY000系を所有していました。
「みなとみらい線」用の車両ではありません。「こどもの国線」専用の電車です。
でも現行の「JTB大型時刻表(P16)」を見ると「こどもの国線」は東急線の扱いです。
そういえば、かつて東急は「こどもの国線」用に7000系2連を配備していました。
一体どういうことでしょう?

まずは「こどもの国線」について、お話しします。
「こどもの国線」は、1965年に開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1967年4月開業しました。
当時は社会福祉法人(1981年までは特殊法人)である「こどもの国協会」が施設を保有し、
東急に運行管理を委託するカタチで営業されていたのです。
(1987年4月、鉄道事業法施行により「こどもの国線」は、
協会が路線を所有す「る第三種鉄道事業者」、東急が列車の運行を担う「第二種鉄道事業者」となりました。)

ですから、運転時間帯はこどもの国の開園時間に合わせられ、始発は8時台、終電も18時台となっていました。
もちろんゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、「こどもの国」の利用状況に応じて「不定期列車」が数多く設定されています。
その時は大井町線用の5両編成を走らせ対応していました。
一方「こどもの国」の休園日となる月曜日は「休園日ダイヤ」となり
毎時1本程度しか運転されていません。
また途中に交換設備がなかったため、1本の列車が往復するだけで
普段はそれも2両編成という状態でした。
1989年1月からはワンマン運転も開始されており、ローカル線といっても差し支えない路線でした。

さて、そんな「こどもの国線」が大きな変貌を遂げることになります。
沿線の宅地化が進み、列車の運行時間帯を拡大して欲しいという声が上がったのです。
通勤線への転用が図られることになりました。

通勤線化後、平日は5時台〜24時台、土休日は6時台〜23時台と運転時間は大幅に拡大しました。
また恩田駅に交換設備ができたため、平日の通勤時間帯は最大10分間隔。
それ以外もおおむね20分間隔のパターンダイヤとなって利便性が大いに向上しました。
当然「休園日ダイヤ」は廃止されました。
(もちろんゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、従来通り運転本数を増やすなどの対応をしています。)

「こどもの国線」自体、しっかり稼げる路線に生まれ変わったのですね。
こうなれば、もはや社会福祉法人とはいえません。
「こどもの国協会」は1997年8月。
第三種鉄道事業を手放すことになります。
譲渡先は東急と言いたいところですが、横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として車両・施設を保有し、
東急が引き続き第二種鉄道事業者として列車を運行することになりました。

ところでなんでまた、横浜高速鉄道なのでしょう。
横浜高速鉄道は、横浜市、神奈川県などが出資する第三セクター方式の鉄道会社です。
1989年3月、 みなとみらい21線の事業主体として設立されました。

そんな横浜高速鉄道が、「こどもの国線」の事業に乗り出したのは、
同線の通勤線化が横浜市の「ゆめはま21プラン」に位置づけられたからです。
横浜高速鉄道は、97年10月から改良工事に着手。
こどもの国駅の駅舎を建て替え、前述したように行き違い可能な恩田駅を新設し、2000年3月から通勤路線として営業を開始しました。

この通勤線化に先立ち、1999年8月にデビューしたのが横浜高速鉄道Y000系です。
2連×3本=6両が東急車輛製造で新製されました。
もちろん車両は横浜高速鉄道の所有ですが、東急長津田検車区に配属され、
従来通り、運行や整備は東急が行います。
ですから同時期に製造された東急3000系をベースにY000系が製作されているというのは至極納得のいくところです。

ここで、Y000系の画像をよくご覧ください。
東急3000系と確かによく似ていますね。

でもY000系が3ドア車なのに気づかれましたか?

東急の電車には、3ドア車と4ドア車が混在します。
でも、3ドア車はというと、日比谷線直通の車両か池上線、多摩川線の車両に限定されています。
これらと接続していない田園都市線長津田駅を起点とする「こどもの国線」になぜ3ドア車を導入したのでしょう?

その是非は、さておき。
私は、横浜高速鉄道の担当者の「こだわり」というか「意地」のようなものを感じるのですが。いかがでしょう?

 参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 2000年版 No692



■こどもの国の由来(こどもの国のHPより抜粋)
1959年(昭和34年)4月の皇太子殿下(現天皇陛下)のご結婚を記念して、全国から寄せられたお祝い金を基金に、1965年(昭和40年)5月5日のこどもの日に開園しました。旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠跡の国有地が米軍から返還されたのを受けて、国費をはじめ多くの民間企業や団体・個人の協力で整備されました。次世代を担うこどもの健全育成のための施設で、児童福祉法に基づく児童厚生施設です。


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