鉄道写真管理局 珍車ギャラリー 日立電鉄 2000形2002 2006.5.7UP
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日立電鉄 2000形2002 2002 91.10.31改造
(京王重機整備)
1962年1月 帝国車両 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
16.000 2.700 3.595 29.5
駆動方式 制御方式(電圧) モーター(kw) ギア比
平行カルダン ABF74-6AA
600V/DC
MB3054A
75×4
6.53
ブレーキ 定員 冷房機 台車(製造)
AMM−RE
→HSC化
100(40) なし FS-510
(住友)
モータ−と台車は、日比谷線3000形のものでギア比もそのままです。
2002をタイトル車両としたのは、他の車両に先駆けて改造されたからです。
日立電鉄 2002              鮎川     1994.8.4
*元営団地下鉄 銀座線 2080

 初めて、地上線に転用された地下鉄電車 日立電鉄 2000形 2002

この2000形が、導入される以前、日立電鉄では、戦前派の旧型車両が大半を占め、私が、83.3に訪れたときには、
旧型電車の博物館といってもいいほどでした。マニアにとってはうれしい存在でしたが、
会社にとっては、なにも好きで走らせていたわけではありません。
 電鉄とはいいながら経営は苦しく、日本全国どこの私鉄よりも早くワンマン運転を導入したのは、この日立電鉄なのです。
新車を導入できる余裕のないまま、当線に見合う中古電車を探しているうちに、年月が過ぎてしまったというところでしょうか。 
やっとのことで導入できたのが、営団2000形だったのです。

 では、何故、営団2000形の登場まで待たなければならなかったのでしょうか。
それは当路線の規格の低さゆえです。30Kgレールが主体の脆弱な軌道に大型車は入れません。
加えて、JR(国鉄)大甕駅の山側に駅を持つがゆえに、常磐線とは、2度の立体交差を余儀なくされているのですが、
そのせいで車体の高さが制限され、またカーブもR160mという急カーブを持つため車体の長さも制限されてしまったのです。
 これらの条件をやっとのことで満足させる車両が、営団2000形だったというわけです。
しかし、この2000形にも問題がありました。そうです銀座線は、第3軌条の地下鉄です。
いくら電圧が同じでも、集電方式がまるで違います。 加えて、銀座線は標準軌、日立電鉄は狭軌です。

「車体だけでも、譲り受けて、旧型車を更新しよう。」と検討していたところに、朗報が飛び込んできました。
日比谷線の3000形にも、廃車が発生したのです。
「銀座線2000形に、日比谷線の3000形の台車を利用すれば、使えるではないか。」
 というわけで、ようやく日立電鉄の近代化にめどがついたのです。

乗客離れに歯止めをかけようと、起死回生の思いで導入された日立電鉄2000形は、両運転台を持つ3000形を加え、
97年には24両を数え、旧型車を一掃しました。
しかし、それから10年も経たぬうちに、2006年日立電鉄は、廃止されてしまうのです。
まさか、日立電鉄が茨城交通や、鹿島鉄道より先になくなるとは思ってもみなかったので、正直、びっくりしました。

廃止の理由を知りたくて、ネットで情報を集めました。なるほどと思われる理由は、いくつかあるのですが、
いかんともしがたいのは、やはり乗客離れです。車両に、責任を押しつける気はありませんが、
日立電鉄2000形、3000形が、乗客増の切り札にはならなかったのは事実です。

 いったい何故か。私なりに思いつくことが一つあります。それは彼らが冷房車ではなかったということです。
90年代ともなると、車両の冷房は当たり前です。カラーリングも近代的で、銀座線時代よりスマートに見える彼らですが、
利用客は、まさか冷房がついてないとは思わなかったでしょう。
 地下鉄車両は断面の制約もあって冷房化は遅れました。しかしもともと地下鉄は、日差しもなく地上と較べて涼しいのです。
地上とはわけが違います。対して日立電鉄は、長さ39mの久慈浜トンネルが一つあるだけです。
それどころか大甕駅では、常磐線との接続をとるため、たいていの列車が、10分近く停車します。
灼熱の太陽に照りつけられた自動車に乗り込むことを想像して頂ければと思います。
もっとも風を通せば、少しはマシになりますが、この2000形。窓は下段が少しばかり上昇するだけで、風通しが悪いのです。
夏。涼しい常磐線から乗り継いできた乗客にすれば、これはたまりません。客が逃げるのは当たり前だと実感しました。
 
 でも、なぜ冷房化できなかったのでしょう。それは、600V路線であるため2000形2連(1M1T)を冷房化するのは、
容量からして厳しいものがあったからだともいえましょう。しかし、後に作られた、3000形は、両運転台の単行用車両です。
これなら冷房化はできたのではないかと思うのですが、97年の最終増備車でも、ダメでした。
2000形で、裏切られた思いをした乗客の声は届かなかったのでしょうか。
 これは、邪推に過ぎないかもしれませんが、日立電鉄は、徹底的な合理化を推し進めてきた会社です。
現場で、乗客の声を聞く職員も少ない上に、もし、上層部に直訴でもしようものなら、「次にリストラされるのは自分だ。」
という職員の方がいても不思議ではないような気がするのです。

 ちなみに、この2000形が掲載されている鉄ピクの新車年鑑92年度版には、
91年度にデビューした車両諸元表がまとめられているのですが、
冷房装置が空欄となっている鉄道車両は、この2000形と嵯峨野観光鉄道のSK100.200(トロッコ列車)だけです。
時代の流れ、要請に応じきれなかった哀しき珍車であると言わざるを得ないのです。

 他のローカル私鉄では、冷房化できない東急5000形は、早くもその多くが淘汰され、
代わって東急7000形や京王の3000形などが、冷房車として活躍しています。
彼らとて、どれだけの乗客を繋ぎ止めているかはわかりませんが、必要不可欠な投資だったと私は思っています。

 さて、思うように乗客数が伸びなかった日立電鉄は、両運転台の3000形について、2両分のキャンセルをだしました。
今これを引き取って走らせているのが、銚子電鉄です。ここもまた冷房車がいません。
日立電鉄のあとを追うようなことがなければよいのですが…



モハ11形 12   大甕駅 
 1948に日立製作所で、製作されたもの。
営団からの注文が流れたために、
日立電鉄入りした過去を持っています。  

鉄道車両写真集
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参考文献;
鉄道ピクトリアル
 No620 特集;関東地方のローカル私鉄「日立電鉄」梅沢有人氏 96.4
 No566 新車年鑑92「日立電鉄2000形」海老根正巳氏 92.10
 No342 特集;帝都高速度交通営団 「車両めぐり」 里田 啓氏 77.12
日本の私鉄 17 北関東 東北 北海道 「日立電鉄」の項目 高橋 摂氏 82.7
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