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2007.7.1UP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR西日本 クハ207 1 量産先行車 ![]()
鴫野駅 先日、国土交通省航空鉄道事故調査委員会は、JR宝塚線脱線事故に関する最終報告書を提出しました。 2005年4月の事故から、もう2年あまりの歳月が過ぎたわけですが、ここであらためて、犠牲者となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、 ご遺族の方は、もちろんのこと、この事故により心身の傷を負われた全ての方々のためにも、この事故から得られた教訓を決して風化させてはならないと思います。 JR宝塚線の事故で犠牲になった車両は、207系です。
207系は、私鉄王国といわれた関西地区で、いかに通勤客を取り込んで巻き返しを図るか。 JR西日本が、その命運をかけて登場させた通勤形車両と申せましょう。 私も日常利用する車両であり、前述の報告書において、「軌道や車両に脱線要因はない。」とされたことでほっとしたわけですが これを機に、この、207系について、見直してみたいと思います。 私鉄王国関西への挑戦−−JR西日本 207系 F1編成−−207系は、国鉄時代に営団千代田線乗り入れ車両として、900番台が既に存在していました。国鉄初のVVVFインバータ制御車であり、もちろん試作的要素が強いものでした。 さて、JR西日本の207系は、同じくVVVFインバータ制御車ではありますが、900番台とは全く違うコンセプトで作られた別系列の車両です。 今回ご紹介する、91年1月に作られたF1編成(当初はC1編成)は、前述の900番台(試作車)と区別するため、 量産先行車と呼ばれ、実際その年の12月には量産車が増産されるのですが、JR西日本としては、これも試作編成と位置づけています。 さてそのコンセプトは、 1、次世代にわたって通用する通勤形電車とする。 2、地下乗り入れ仕様とする。 3、徹底した省力化、省エネ対策を行う。 4、私鉄王国関西で他社に負けないグレードとする。 です。 207系は、地下鉄線として建設されていた片福連絡線(現在のJR東西線/1997年3月8日開業)に投入するため、 当初から地下鉄線を走行可能な車輌として計画されています。 JR東西線はアーバンネットワークの要であり、阪急に対して、とりわけ劣勢であったJR宝塚線を活性化させる鍵となる路線です。 大阪市内中心部から、学研都市線へ直通する利便性をアピールすることで、 段落ち(三田方面からの旅客が、宝塚駅で阪急に乗り換えてしまうこと。)を解消し、 大阪市内から宝塚、伊丹方面への利用者をも取り込んでしまおうとJRは考えました。 阪急は、車両のグレードでも高く評価されています。207系では、そんな阪急にひけをとらない、明るく広々とした車内空間を創り上げました。 畳一畳は優にある大型の側窓に加え、貫通路の位置をずらすことから、大型化された妻面の窓が、とても新鮮でした。 そしてスピードです。もともと線形は悪くないのです。快速列車を運転することで速達性でも優位に立つことを考えました。 207系にあっては、通勤形車両として必須の高加減速性能(全領域で205系を上回ります)を求めながら、 最高運転速度を120km/hとしました。 阪急に狙いを定めた戦略的な、いや攻撃的と言ってもいいような車両といえそうです。 …結果として、こうした企業の姿勢が、事故を招いたのだということも可能かもしれません。 しかし、一番問題なのは、JR西日本という企業が、社員に対する思いやりの気持ちを欠いていたことにあるのではないかと思っています。 事故を起こした列車に乗務していた車掌さんは、遺族の方々におわびの言葉を述べることはありませんでした。 朝日新聞の記事からすると 自分の非を認め、詫びることが会社に利用されるのではという思いが強くおありのようでした。 報告書において、車掌さんの責任は問われることなく、彼も安堵されたようです。事実、彼に責任を求めるのはあまりにも酷です。 しかし謝罪の言葉がなかったことに遺族の方々のやるせない気持ちもあったのも事実ではないかと思います。 −−−−−スピードが超過していることを、本当に知らせることができなかったのか… 関西のある私鉄では、停車駅が近づいてくると「チン!」と車掌さんが、ベルで知らせます。いつものことながら絶妙のタイミングです。 運転手さんは、それに応え、ブレーキをかけるのですが。私はこのやりとりにいいようのない安心感を感じます。 運転は運転手の仕事で、運転手の責任だと、言い切っていいのでしょうか。 人間はミスをする動物です。それを現場の人々が支え合ってこそ、大きな取り返しのつかないミスを回避できるのではないでしょうか。 6月15日、仕事でJR西日本の本社を訪れました。 GUESTのプレートをつけていたからかもしれませんが、社員の方々はすれ違う度に、挨拶を(それも声に出して)してくださいました。 もちろん何の不自然さもありません。JR西日本という会社の何かが変わった−−私はそう信じたいと思います。 ![]() F1編成は、その登場時、両開きでありながら、一枚の窓のように見える扉の形状が、識別のポイントでした。 しかし、量産化改造され、連結器とその下にある番号表示だけが識別のポイントとなりました。 普段利用していても、なかなか気づくことはありません。また、500両に迫る大所帯のため意識していてもめったにやってこないのです。 下の写真は、高槻駅で見つけたF1編成とその連結器部分のアップですが、 朝のラッシュに血相変えてホームを走り抜け、カメラを構える私はいったい何者と思われたことでありましょうか。 |
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